やさしい同性
愛ってなんだろう。
もう最近は、すっかり思索的な人間になってしまった。
彼に振られてから、一か月。
ようやく、わたしは自分を客観視できるようになった。
隠し通しておけないから、会社の女子たちには打ち明けた。
まったく、女性というのは振られた同性には優しい。
緊張裡な関係性だった同僚まで、壊れ物を扱うように優しい。
振られるというのは、思わぬ副産物を産むものだ。
学生時代、振られると悪友たちに散々慰めてもらえってた。
そしてもちろん、酒だ。
酔って酔って歌ってまだ飲んで。
酸いも甘いも噛みしめたママさんや、常連の見知らぬオッサン。
それに話を聞きつけた隣の席の誰か達。
気がつけば店ぐるみで、振られた私の慰め会になったりした夜もあった。
あれは気さくな街、大阪だったからだろうか。
東京ではちょっと考えられない。
それとも私が学生だったから?あるいはその両方か。
でも、そんな可愛い失恋などとは訳が違う。
わたしは早く家に帰りたかった。
早く独りになって、脳裡に刻み込まれている彼の姿や彼の言った言葉、それに彼との時間を思い出したかった。
失ったというのに。
現実逃避とでも妄想とでも何とでも言えばいい。
だってその逃げの時間がなければ、今のわたしは生存不可能なのだ。
ではそもそもなんのために生きるのか?死ねないから?この地球上にわたしという生命体が生きる必要ってどこにある?そんな遠大な問いかけすら反芻する。
結果、自殺する勇気が単純にない。
血が恐い。
それに大家さんにも迷惑がかかるし、親だって悲しむだろう。
やりかけの仕事だって、国から予算がおりて上司ははりきっている。
「頼むよ」と肩も叩かれた。
でも、どんなにいい仕事したって彼は帰ってこない。
どんな人なんだろう?彼の選んだその人は。