なれそめ話をきく理由
私は、人が付き合ったり結婚したりしたなれそめを聞くのが、割と好きだ。
まずまず余計なお世話だというのは自覚している。
けれども素敵なカップル、もしくは理解できないカップルを見ると聞かずにはおれない。
「どうして付き合うことになったの」「どうして結婚したの」と。
まあ、大抵の場合理解できないカップルの場合が多いのだが。
こんなに面倒な人なのによく嫌にならないね、とか、こんなにぶっきらぼうな人なのにどこが好きなの、というようなケースが意外にも多いのだ。
だからまあ最初はこちらの疑問が伝わるのか、そんな話しなくていい、だとか言うのだ。
けれども不思議なことに、無理やりにでもなれそめを聞いていくと、いやだいやだと言っていた人も結局はにかみながら話してくれる。
その時のその人は、目では私を見ながら話しているのだが、頭の中では自分の記憶を辿りながら話しているのだ。
その時の表情は、大抵の人が懐かしいものをいつくしむような、とても優しい表情になる。
目の奥のほうがほころぶのである。
その表情を見ていると、あんな面倒なひとでも、ぶっきらぼうな人でも、好きになった人にしか見せない素敵な一面があるのだということを知る。
それは心を許した相手でないと決して知りえない一面。
人は見た目や表面上のつきあいでは分からないのだ、と改めて思い知らされる。
そして、その話してくれた人の美しい表情にも心を打たれるのだ。
誰かを好きになる、と言う事はこんなに人を優しくするものなのだろうかと。
そしてこちらまで、なんだか心が洗われたような気分になるのだ。
けれども例外もある。
それは結婚式のなれそめスライド。
あのスライドではこの気分は得られないのだ。
不思議だ。