離れていても深い絆

絆と言う言葉が大流行。
どこでも「絆」という言葉を使えば、良い雰囲気になったりほっこりとして空気になるが、一歩間違えば胡散臭い演出にしかならない。

口説き文句に絆が云々なんて聞かされた日には、100年の恋も冷めてしまう。

そもそも、そういう言葉の意味を知らずに、流行っているから軽々しく云う連中ばかり。
一般大衆とはそういうものであるが、半年や一年経てば、すっかり忘れされられるのがオチである、これまでのどんな事も。

東北で大変な事があったが、今はどうだろう、すっかり他人ごとになってしまっているではないか。
その時は本気でチカラになろうとしていた人も、どれぐらいの人が継続的にチカラを貸しているだろうか。
本気度が、ここで見えてくる。

人間は、3の周期でモチベーションが下がる。
最短は「三日坊主」という言葉が示すように、三日間ではなかろうか。

次いで、三週間、三ヶ月、三百日、三年・・・。
心当たりがあると思う。
いつでも本気の人は絶対数が少ない。

そして言い訳大会が始まる。
言い訳を考えることが人間は大好きであり、保身を大の得意としている。
まわりもいるだろう、言い訳を考えるのは一流の人が。

同じステージに立っていけないのであるが、言い訳して逃げるのは非常に簡単なのである。
ぶつかっていくことは苦しい。
だけども、一部の人は、壁に穴をこじ開けてでも積極的に突破していく。

その一部の人は、言い訳を考えている人が決して体験出来ないことが財産となって返ってきている。

新しい生活

広い海のどこかで吹いた風が、波の綾をゆらしている。

家に閉じこもってばかりいるのもよくないと思い、今日は、近くの浜辺にやってきた。
無邪気にはしゃぎながら、かけていく息子。

私は、浜辺に続く小さな足跡をおいかけながら、頭の中では別のことを考えていた。

旦那のことだ。
消えてしまいそうな絆を、必死でつなぎとめるあなたの、すべてを、妻として許すことができたら、どんなに楽だっただろう。
一人ならそれもできたけど、母親として、助けを求める小さな瞳を放っておくことはできなかった。
信じても裏切られて、いつしか、未来を描けなくなっていた。
時間のはざまになくした信頼は、もう戻らない。
子どもがいなかったら、あなたとともに堕ちていくこともできたけど…。
決断に至るまでは、苦しかった。
でも、助けを求める小さな瞳を巻き込むことはできなかった。
何億年も昔から、今も変わらず、満ちてはひいていく潮のように、揺るぎない確かな愛を、この子に注いでいきたい。

クスクス笑いながら、岩陰に隠れるいたずら盛りの息子。
やっと、掴まえ、抱きしめた。
握りしめた小さな手に願いを込める。
今、ママとして選ぶこの道の先が、いつも笑顔であふれていますように。

不意に風が、息子の帽子を巻き上げた。
ふと見上げた空は、高く果てしなくて、どこまでもいける気がした。
「ママ、帽子」
「あーあ、ちゃったね」
帽子は、潮だまりにその片隅が浸かっていた。

私の帽子には紐がついているけど、息子の帽子についていなかったのだ。

「大丈夫だよ。
すぐに乾くから」
私は、微笑みながらそう言った。

この子と一緒に、新たな道を歩き始める。
別れを決めたのは私だから、もう後ろはふり向かない。
ここからは私が新しい生活をマネジメントしていかなくてはならない。
そう、泣いている暇などないのだ。