君子危うきに近寄らず
愛。
これには懲りて、諦めた。
で、適当な相手と適当に結婚した。
やがて子供が生まれ、私は晴れて現役の女ではなくなった。
が、それは甘い油断だったのかもしれない。
まず息子の幼稚園のサッカー教室の先生。
息子はお教室が終わってもぐずぐずと園に居残り遊具で遊んだ。
「早くしてよ!」と叫びたくなるが、堪える。
だって彼は私の最愛の人間だから。
暮れなずむ園庭で、サッカーの後片付けをする先生と、なんとなく空間を共にした。
先生も大変だなあと、無言でその様子を有難く見守ったのだ。
すると彼は私に恋をした。
しかも次第に本気になってきた。
見つめる瞳に哀切さが宿りだす。
切なさは加速し、甘美な苦悩とブレンドし、内省の世界へと突入する。
が、私とてバカじゃない。
子持ちだし、さらには「もう年ですし」の世界。
これはこちらの自惚れであり、錯覚でしょう、と。
が、ある日ばったり先生と町の歩道で遭遇したとき、認識を改めた。
それはちょうど小雨がぱらつき始めた歩道でのこと。
ふと顔を上げると先生がいた。
サッカーの人たちがよくやるように、ブラジル風だかイタリア風だかの、両手広げて天を仰ぐ仕草をしながら、ゆっくりと歩を進めてくる。
君子危うきに近寄らず、だ。
お教室は止めた。
それから数年後の最近、近所のパソコン教室に通い始めた。
すると今度はオーナーの先生が、私を狙いだした。
これには、いい加減うんざりだ。
今度は、明らかにそっち方面の需要なのだ。
「バッキャロォー!」とPC画面を拳で叩き割ってやりたくなる。
今では背後に立たれるのすら、おぞましい。
世の中には不倫が多いとも聞く。
現実の世界と離れ、密やかで甘い関係を持ちたい。
そんな気持ちは、分からなくもない。
で、手近で適当な存在が、この私。
でもそれっていわゆる「不適切な関係」ですよね?。