利き手の男
信頼。
彼女に寄せる僕の気持ちは、まさにこの二文字だった。
ずっと折り目正しい人間として生きてきた。
頼られることはあっても頼ることは、ない。
付き合った女性からは、常に依存された。
例えて言うなら、僕は常に「利き手」だ。
両手のうち、常に働くのは利き手の方。
ボールを避けるとき、誰かを庇うとき、いつもとっさに出るのは利き手だ。
まあ、筋肉が余計に発達したり、といったプラス面を考え生きていくしかない。
そんな僕が生まれて初めて頼ったのが、彼女だった。
彼女はバカがつくほど正直な人で、人が見過ごすようなちょっとした心の機微に敏感に反応し、寄り添ってくれる。
折れそうな心を支えてくれる。
この人なら一緒にいて本当に幸せだな。
そんな風に感じた。
人生は厳しく荒波の連続だ。
強い僕とてくじけそうな時、傍に彼女がいてくれたら。
もっともあの独りよがりの話しっぷりには、度々閉口させられたが。
それすらもご愛嬌だ。
これが愛なのか。
僕は決意を固めた。
するとその日、彼女が唐突に別れを告げてきた。
彼女の唇から発せられた理由はこうだ。
これからは写真家を目指して生きていく。
思わず耳を疑った。
しかし彼女は続ける。
ずっと子どもの頃から夢だった。
形にしたくって、でも失敗するのが恐くって今までできなかった。
でも経済的な基盤もやっと自分で作れそうだし、チャレンジしてみたい、と。
初耳だったし、正直拍子抜けだった。
まあ、地に足のつかないふらついた妄想癖があるな、とは承知していたが。
だったら、僕と結婚しつつその夢を追いかけたらどうだろう?。
そう提案しようと口を開きかけたその時、彼女は席を立ち、そして去ってしまった。
蝶がふらふらと上空するように。
彼女の背中には、存外に頑丈そうな羽が露わになっていた。
それは灰黒色の大きな斑点がくっきりついた、痛ましい羽だった。