恋愛の駆け引きを学べる古典授業
古典の授業で必ず習う和歌。
平安時代を象徴するテーマである。
私自身も高校生時代にはこの和歌に悩まされたものである。
まず、あまりにウィットに富みすぎていて良く分からないし、言葉遊びを不用意に散りばめてくるから真意を見落とす。
覚えなくてはいけない季語や枕詞、語形変化がとにかくたくさんある。
私は授業ももちろん、テストもフィーリングで受けていたので全く違う解釈をしてバツを食らった。
この語学級に難解な教科に苦労した記憶は、誰しも持っているのではなかろうか。
大抵昔の和歌というやつは、恋わずらいのうただとか、恋文みたいなやつが多い。
どうして他人のラブレターを題材に私はテストの点数をつけられねばならないのか、当時の自分としては釈然としないものがあった。
しかし今考えると、これは恋愛の駆け引きの勉強だったのであろうか。
誰かにもらった含みのある手紙を、知的な受け答えで流すという。
昔の男は、ストレートに感情表現をしないでやたらと面倒な例えを使ってくるから、色々な事柄について精通していないと洒脱な返歌はできない。
しかもメールや電話なんかない時代、手紙でのやりとりしか方法がない。
となると、筆蹟の美しさが容姿と同じくらい、大切な評価ポイントとなってくるのだ、と習った記憶がかろうじてある。
もし自分が今の知能でこの時代に飛ばされたとしたら、退屈な女というレッテルを貼られてしまうのでなかろうか。
筆蹟もたいしたことはない。
ああ考えただけで恐ろしい。
だからもしかすると、古典というのは、スマートな受け答えをさりげなく学ばせて実社会にいかす、という、実践的な教科だったのではなかろうか。
というのは考えすぎか。